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公開日: 2025.05.30  | 更新日: 2025.05.30

「根源的能動性」に関する個人メモ

青山学院大学のワークショップデザインの講座内で紹介されていた、佐伯胖先生によって提唱される「根源的能動性」に関する個人的な考察メモです。なお、当記事の筆者はこの領域について専門教育および高等教育を受けていませんので、この記事内の知見は素人による私見とお考えください。

根源的能動性とは何か

根源的能動性とは、簡単に言えば「自ら動きたい」「試してみたい」「理解したい」という内側から湧き出る自発的な衝動のことです。

生後わずか10〜12週の赤ちゃんを観察すると、手をじっと見つめながら「むすんで・ひらいて」の動作を熱心に行う様子から、この能動性の源についての研究過程で発見された概念とされます。これは単なる偶然の動きではなく、赤ちゃんが自ら手を動かそうと「試み」、その視覚的結果を「確認」している—つまり、自分の意思で何かを始め、その結果を確かめるという根源的な学びの姿勢なのです。

驚くべきことに、この能動性は生まれながらに私たちの中に備わっている先天性のものだと考えられています。教えられたわけでもなく、誰かに強制されたわけでもない、純粋に内側から湧き出る「やってみたい」という気持ち—それが根源的能動性の核心です。

教育によって失われていく能動性

ところが、この貴重な能動性は「成長につれて失われていく」傾向があるといいます。その原因は「他でもない教育による」と言われています。

「人は教えられるとき、自ら考えるスイッチを切る」というのです。確かに、答えを教えてもらうのが当たり前になると、自分で考えるのをやめてしまいがちかもしれません。

石黒広昭先生の小学1年生を対象とした研究によると、入学当初は多様な行動を見せていた子どもたちが、集団行動の訓練を通じて、数ヶ月後には教師の意図を先読みして従うようになるそうです。これは一見「良い子」になったように見えるかもしれませんが、その過程で子ども自身の自然な疑問や意図は置き去りにされていきます。

私自身も、こうした教育を押し付けられているような感覚があります。かつて私が学習塾で講師をしていた時、生徒について学ぶことの楽しさではなく、点数を取るための公式と知識を暗記させる教育法に加担していたことを時々思い出しては、責任を感じています。

こうしたnot for meな学習体験に嫌気がさして、院生時代には実戦から探索的に学ぶことを目的にしたメディアの研究をしていたほどです。

一人称視点で学ぶことの大切さ

では、失われがちな根源的能動性をどう取り戻せばいいのでしょうか。ここで重要になるのが、「一人称視点」で学ぶことです。

一人称視点とは、「私はこれをやりたい」「私はこれが知りたい」という自分自身の内発的な動機から出発する学びの姿勢です。これは誰かに言われたからやる「〜すべき」という三人称視点とは大きく異なります。

例えば、プログラミングを学ぶ場合を考えてみましょう。

三人称視点:「プログラミングはこれからの時代に必要なスキルだから勉強すべきだ」 一人称視点:「自分でゲームを作ってみたい!そのためにプログラミングを学びたい」

この違いがわかるでしょうか。前者は外部から課された義務感から始まりますが、後者は自分の興味や目的から始まります。後者の方が、学びが深く、長続きする可能性が高いように思われます。

アンダース・エリクソンの研究によれば、高度な技術を習得するには「意図的練習」が欠かせません。これは単なる反復ではなく、改善すべき特定の領域に焦点を当てた練習です。しかし、この練習は必ずしも即時に楽しいものではなく、長期的な努力が必要です。

ここで鍵となるのが内発的動機です。「誰かに言われたから」ではなく、「自分でやりたいから」という気持ちがあれば、辛い練習も乗り越えられるのではないでしょうか。これも根源的能動性の力だと思われます。

二人称視点の価値:共に学び合う喜び

しかし、一人称だけでは不十分です。佐伯先生は「共愉的」な学習共同体における「二人称視点」の重要性も強調しています。

二人称視点とは、「あなたと一緒に」という関係性の中で生まれる視点です。単に「私がやりたい」だけでなく、「あなたと共に楽しみたい」「あなたの考えを知りたい」という関係性が加わることで、学びはより豊かになります。

私自身、一人で黙々と勉強するより、友人とふざけながら学んだ内容の方が圧倒的に記憶に残っています。くだらない会話の中で、自分では気づかなかった視点に出会えるからです。

佐伯先生はこの「共愉的」な学習共同体こそが、学びや創造の動機の根源にあると指摘しています。「共愉」とは「共に楽しみあう」こと。一人ではなく、互いに尊重し合いながら、共に学ぶ喜びを分かち合う関係の中で、私たちの根源的能動性は発揮されるということなのだと思われます。

根源的能動性を育むためにできそうなこと

では具体的に、私たち自身が根源的能動性を取り戻し、育むにはどうすればいいのでしょうか。

自分の好奇心を大切にする

日々の中で「これって何だろう?」と思ったことを蔑ろにしないことです。スマホですぐに答えを調べるのではなく、少し考える時間を持ってみて、自分なりの意思や意見を確認します。その「知りたい」という気持ちこそが、根源的能動性の表れなのですから。

「なぜ」を問い続ける

与えられた課題や情報に対して「なぜそうなるのか」「どうしてそうするのか」と問いを持ち、想像を膨らませます。表面的な理解ではなく、本質を探る姿勢が大切です。

失敗を恐れずに挑戦する

完璧を求めすぎると、挑戦する前から諦めてしまいます。むしろ「うまくいかなくてもいいから、やってみよう」という気持ちで取り組むことで、新しい発見が生まれます。

共に学べる仲間を見つける

同じ興味を持つ人と一緒に学ぶことで、モチベーションは高まります。互いの発見や疑問を共有し、共に考えることで学びは深まります。オンラインのコミュニティでも良いですし、少人数のもくもく会を初めてみるのも良いでしょう。

自分だけの「問い」を持つ

授業や教科書の内容をそのまま受け取るのではなく、「自分にとって」の問いや関心を見つけましょう。それが自分だけの学びの道を切り開きます。私はこの過程で形成されるエゴこそが人生を豊かにすると考えます。

じぶん自身の学びを取り戻す

教育」がいつの間にか私たちから奪ってしまった「自ら動きたい」という気持ち。それを取り戻すのは、決して簡単なことではないかもしれません。しかし、自分の内側にある「知りたい」「やってみたい」という気持ちに正直になることから始められるのではないでしょうか。

そして大切なのは、一人で頑張るのではなく、共に学び、共に楽しむ仲間の存在です。「あなたと一緒に」という二人称の関係性の中で、私たちの学びはより豊かに、より深いものになっていくと思います。


参考文献

  • 佐伯胖『「わかる」ということの意味』

  • 佐伯胖『幼児教育へのいざない』

  • 石黒広昭「教室のエスノグラフィー」

  • アンダース・エリクソン『成功する人は偶然を味方にする』


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この記事を書いた人
うえんつ
B2B領域のSaaS・アプリケーション開発などを組織で取り組むことが得意なプロダクトデザイナーで、このブログのオーナーです。
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