WSDレポート2:ワークショップを学習として捉える
この記事は、青山学院大学大学院主催のワークショップデザイナー育成プログラムの課題として、動画形式の講座を受講して筆者個人の考えをまとめたレポートです。今回は「ワークショップを学習として捉える」について書いています。
あなたは、「学習」という言葉を聞いた時に、どのようなことをイメージするでしょうか?
私は「学習」という言 葉を聞くと、計算ドリルで繰り返し計算問題を解いたり、英単語や漢字を覚えるためにノートに何度も書き取りを行ったり、教科書を読んで重要単語にマーカーを引いて暗記することを想像します。つまり、学校での授業や宿題を通して知識を獲得し、テストの点数でどれだけ問題が解けたかを評価する、この一連のことを「学習」としてイメージしています。
これを言い換えると、「問題に対して正しく回答できるようになること」だと考えています。英語で例えるなら、「How are you?」と言われたら「I’m fine. And you?」と答えるという知識と、その意味が「元気ですか?」と「私は元気です。あなたはどうですか?」と訳せる、ということになります。
このような考え方を説明する理論として、知識を習得することで「できるようになる」学習を「行動主義学習観」と言い、習得した知識がなぜそうなるのかを「説明できるようになる」学習を「認知主義学習観」というそうです。
しかし、本当にこれだけが「学習」のすべてなのでしょうか?
普段生活していると、算数や国語だけではないさまざまな「問題」が起きますよね。例えば、野球の試合をするのに人数が足りないとか、黒板やホワイトボードが授業のたびに消されないので汚いとか、いろいろなことが起きますよね。
そうした問題は「知識」や「知識の根拠や意味を説明できる」だけで解決できるでしょうか?野球の人数を集める方法も、ホワイトボードを毎回綺麗にする方法も、ゴミが混ざらないようにする方法も、教科書には載っていないですからね。
では、実際にはどのように解決しているでしょうか?野球の人数集めであれば、周りの知り合いや友達に協力して声をかけたり、美術部員に頼んでポスターを作ってもらって廊下に貼ってみたりして、最終的に人数が集まったりしますよね。こうした方法は、とても一人だけの力で取り組むことは難しいと思います。そこで、どのように人を集めるかを話し合ったり、誰が何をするか分担を決めたりしますよね。
これを言い換えると、「問題に対してみんなで納得した方法で解決すること」ということになると思います。ひとりでは解決に時間がかかったり、実現できないことを、みんなの力で「お互いに協力することで取り組めるようになる」という考え方です。この考え方を「学習」のひとつと捉えた理論を「社会構成主義学習観」というそうです。
「できるようになる」「説明できるようになる」学習では、正解が決まっているので一人でも解決できるし、自分以外の誰がやっても同じ答えになります。一方で「お互いに協力することで取り組めるようになる」学習では、集まる人が変われば違った取り組み方になるという特徴があります。
この特徴を活かせば、知識やその説明できるメンバーが集まることで、問題に対して教科書にないもっと面白い方法を見つけて実行することができるようになる可能性があると思いませんか?
「学習」という言葉に対してについて、「問題に対して正しく回答できるようになること」だけではなく、「問題に対してみんなで納得した方法で解決すること」という学習もある、ということを知ってもらえたらとても嬉しいです。