WSDレポート6:ワークショップとコミュニケーション教育
この記事は、青山学院大学大学院主催のワークショップデザイナー育成プログラムの課題として、動画形式の講座を受講して筆者個人の考えをまとめたレポートです。今回は「ワークショップとコミュニケーション教育」について書いています。
平田オリザ先生の講義を聞いて特に印象深かった内容について3点述べます。
1点目は、「身体的文化資本」の話 です。
身体的文化資本とは、ピエール・ブルデューが提唱する「センス、マナー、コミュニケーション能力、美的感覚、感性、味覚」に「人種偏見や性差に対する偏見の有無」を加えた概念という説明がありました。特に興味深かったのは、日本では都市部の経済基盤だけでなく演劇や舞踊といった文化的なコミュニケーション手段などの教育においても、SESによらず住む地域によって獲得できる技能やスキルとしても格差があると知った点でした。
私自身は愛知県の郊外地域が出身で、こうした芸能を学ぶには専門的な機関や専門家に能動的に会いにいく必要があり、特殊な技能として教育を受けたい人が受けるものだと感じていたため、住む地域によってはそれが普遍的な教育として反映されうるということに気付きようもなく、こうしてアンコンシャスバイアスは形成されていくのかと思いました。
また、こうしたサブカルチャーへのふれあいの機会損失を回復する手段が「首都圏の大学」であったともされており、これからの大学入試ではこうした技能を後述の「非認知スキル」として評価していく流れと相まって、ますます地域間格差が広がっていく状況を想像をしました。
2点目は、「非認知スキル」の話です。
非認知スキルは「数値的に評価できないスキル」とされており、具体的には物事をやり切る力や他者の意見を受け入れて自分の意見を主張できる力など、「主体性」「多様性」「協調性」に分類される行動特性とされています。この3つは「学習の3要素」とされており、これらを適切に教育することで知識や技能についてはティーチングしなくても勝手に学んでいく 姿勢を身につけられるという点が興味深かったです。
私が現在所属する企業では社員に求められる行動特性として7つのバリューが定義されています。中でも「認識のズレを自ら埋めよう」は「人が増えると、意見が増え、相互理解が難しくなる。建設的に議論ができないときは、前提のズレを疑おう。相手の意図を聞き、自らも意図を話そう。私たちは、相互理解と建設的な議論を諦めない」とされています。これは人事評価にも反映されており、この点を評価される人を見てもバックグラウンドや学歴と必ずしも相関がない行動特性であると感じていたため、個人的に馴染みやすい理論だと感じました。
3点目は、「コミュニケーション能力の多様化」の話です。
特に印象的だったのが「グローバルコミュニケーション(異文化理解能力)」と「日本型コミュニケーション能力」が社会的な要求としてのダブルバインドが起きやすい性質があるという点です。
私の周辺でも日常的に異文化の受け入れを目にする場面が増えてきたように感じます。立場や状況に応じて異なる性質の要求を使い分ける場面も出てきているため、自分の主張が立場の違いからダブルバインドといった状況を招きやすい状況にもなってきているのだと認識しました。そして、その立場を求められすぎると「演じさせられている」感を助長し、結果として自己喪失感につながるというのも留意したい点であるのだと。
これに対応するには、立場に応じて自分の中でさえも意見が異なることを認識し、その集合を「ペルソナ」として認知することによって、ある種のネガティブ・ケイパビリティを獲得することが必要 なのだろう思いました。