マネジメントの究極の到達点は、1on1が不要な世界かもしれない
最初に、この記事は1on1を否定したり推奨しないといった趣旨の主張をするものではありません。
組織のマネジメントにおいて、1on1はもはや疑う余地のない標準的なプラクティスとして定着しています。私自身も日々の業務の中で多くの時間を対話に割いていますし、その重要性は高いと思っています。
しかし、この習慣が当たり前になった今だからこそ、ふと立ち止まって考えたくなることがあります。 私たちは、カレンダーに入っているからという理由だけで、思考停止のまま時間を過ごしてはいないだろうかと。
今回は、あえて理想的なマネジメントの状態から逆算することで、1on1という手段の本来の役割と、向き合い方について改めて考えてみたいと思います。
「やった気」になることの功罪
1on1における最も陥りやすい罠、それは「実施したこと自体に満足してしまう」ことのように思います。 30分間じっくり話をして、業務の共有やちょっとした雑談や悩み事を聞いてもらうなどをしてガス抜きができれば、一定の満足感を得られます。
それに、心理的なケアや関係構築という観点でも適切に機能していると思います。しかし、もしその対話が単なる現状の確認や慰めで終わってしまったとき、とくにが私が上長と1on1をするときは「相手の時間を奪っただけでは?」という罪悪感を感じることがあったりします。
以前、SmartHRの芹澤さんの社内報のインタビューを読んで、1on1は組織にとって非常に高コストな投資であり、安易な実施は「依存(甘え)」を生むリスクも孕んでいるということを突きつけられたときに、マネジメントをしている立場としては「わかるけども、でも1on1を辞めるというのは極端では」と、1on1をやめなくて良い理由を考える自分がいることに気づきました。
1on1の功罪について https://real.smarthr.co.jp/articles/times_serizawa_0002
会社という経済活動を行う組織上で言えば、私たちが常に頭の片隅に置いておくべき重要な観点であることは理解しています。コストをかけて対話を行う以上、そこに明確な成果や変化を求めるのも一定納得はできます。
しかし、当時1on1をマネジメントによる一種のやりがいとして捉えていた私にとっては都合が悪く、しばらくモヤモヤを抱えていましたが、今になってやっと考え方の一つとして整理しつつあり、向き合えるようになってきたかもということで、今に至ります。
マネジメントとは「何かをすること」ではない
ここで少し視点を広げて、「そもそもマネジメントとは何か」について考えてみます。 一般的に言われる「マネジメント」とは、メンバーにスキルを教えたり、モチベーションを鼓舞したり、細かく指示を出したりといった、「何か施策を行うこと」だと今までは考えていました。
本当にそうなのでしょうか? 究極の理想論を言えば、チーム全員が「今の状況」を透明度高く理解し、なすべきことが自明であり、それを実行するための障害が何もない状態であれば、マネージャーがするべきことは何もする必要がないのではないでしょうか。強いて言うなら組織長へのレポーティングくらいでしょうか。
もし、誰もが自律的に動き、成果に向かって最短距離で走れているなら、わざわざ手を止めてまで1on1をする必要などありません。何もしなくても組織が機能する状態を作ることが、マネジメントのひとつの到達点かもしれません。
この状態になると、極端に考えるならば、会社組織で一般的に行われるいわゆる人事評価という手段でさえも、組織に対する個人のキャリアプランや給与査定への納得感(ギャップの埋め合わせ)が他の手段で担保されているのであれば、不要にできるのかもしれません。
欠落を埋めるための手段としての1on1
そう考えると、1on1が必要になるのは、この理想状態に対して何らかの欠落がある場合だという構造が見えてきます。
例えば、現状の認識がお互いにズレている場合。目指すべき理想の状態 の解像度が粗い場合。あるいは、役割を遂行しようとするメンバーの前に、自分では取り除けないブロッカーが存在する場合です。
これらの要素が欠けているからこそ、それを補完し、取り除くための直接的なコミュニケーション手段として、初めて1on1などの手段が必要になります。 つまり、1on1は「定期的に必ずやるべき儀式」ではなく、理想と現実のギャップを埋め、本来あるべき自律的な状態へ戻すための「調律」であるべきだ、というのが今の私の結論です。
行動変容が起きなければ、欠落は埋まらない
ここから導き出される重要なポイントは、対話の結果として行動変容が起きなければならない、ということです。なぜなら、行動が変わらなければ、発生している欠落は埋まらず、理想状態に戻れないからです。
「話せてスッキリしました」で終わってしまっては、翌週もまた同じ欠落の話をすることになります。 そうではなく、「明日から〇〇に取り組みます」という具体的なネクストアクションが生まれているか。あるいは、自身の振る舞いを内省し、より高い視座を獲得できているか。 この変化が伴わない対話は、時間あたりの生産性の観点で見れば、残念ながら投資対効果に見合っているとは言いきれないでしょう。
しかし、その人が抱える欠落(ブロッカー)は、必ずしも業務プロセスの中だけにあるとは限りません。 場合によっては、生活習慣の乱れや、プライベートな人間関係、QOLの低下がパフォーマンスに直結していることもあるでしょう。こうしたデリケートな要因は、深い信頼関係がなければ決してテーブルの上には出てきません。
だからこそ、会話の中にアイスブレイクを入れてお互いにラポール(相互的な信頼関係)を形成するといった、対話のテクニックも重要になります。これらは時間を浪費しているのではなく、隠れた本質的なブロッカーにアクセスするための鍵だからです。
感情論ではなく、障害となっている事実を特定し、それを取り除くための具体的な行動を合意する。そのためには、議事録を画面共有するなどの、物理的に「コト」に向かう状況を作り出すといった一見すると小手先に見えるテクニックさえも、一つ一つの目的を辿れば全てに意味があると自信を持って言えそうです。
1on1をなくすための、お互いの共犯関係
では、本当に1on1をなくすことはできるのでしょうか? 現実のプロジェクトは複雑で不確実性に満ちており、理想的な状態が完璧に維持されることは、よほど小さな組織でない限り稀でしょう。だからこそ、私たちは対話を必要とします。
しかし、その理想に近づくための最短ルートは、マネージャーが一方的に努力することではありません。 重要なのは、メンバー(メンティ)自身とも「1on1がなくても回る状態こそが理想である」という認識を共有することです。
「どうすれば、この障害を1on1を待たずに取り除けるか?」 「どうすれば、今の状況をもっと非同期で透明化できるか?」
こうした問いをマネージャーだけでなくメンバーも持ち、お互いの間にある「情報の非対称性」や「認識のズレ」を能動的に埋めに行こうとする姿勢。これこそが、限られた30分という枠を超え、常に阿吽の呼吸で連携し合える状態を作る近道なのではないでしょうか。
その文脈において、1on1とは、 お互いの自律に向けた共犯関係を確認する場と言い換えられるかもしれません。
「いつかこの時間をなくすために、今日はお互いに何を解決すべきか?」
そんな問いを双方向で投げかけ合い、共闘すること。そのプロセスの先にこそ、手法や形式に囚われない、真に自律した強いチームの姿があるのではないでしょうか。



