
メンタルモデル不在のUIがユーザーに受け入れられない理由
デジタルプロダクトがあふれる現代において、優れたUIはもはや当たり前に求められられるものとなっています。しかし、見た目が美しく、機能が豊富であっても、なぜかユーザーに受け入れられない、使いにくいと感じられてしまうプロダクトが存在します。その原因は、ユーザーの頭の中にある「メンタルモデル」との不一致にあるのかもしれません。
この記事では、プロダクトの成否を静かに左右する「メンタルモデル」とは何か、それがユーザー体験、特に情報設計にどう影響するのか、そしてデザイナーはそれをどう扱っていくべきかについて、先人の知識(書籍)の力を借りながら掘り下げてみます。
メンタルモデルとは?
メンタルモデルとは、もともと認知心理学の言葉で、人が現実世界をどう認識し、解釈しているかの枠組みを指します。プロダクトデザインの世界では、より具体的に「ユーザーが、目の前のシステムやプロダクトがどのように動作すると信じているか」という、ユーザーの内的なイメージや理解の仕方を指します。
これは、ユーザーが意識的、あるいは無意識的に持っている価値観や思い込みに基づいています。『ABOUT FACE インタラクションデザインの本質』によれば、優れたインターフェースはシステム内部の仕組み(実装モデル)ではなく、「ユーザーのメンタルモデルにもとづいて作るべき」とされています。また、『オブジェクト指向UIデザイン』でも、設計の初期段階で「ユーザーのメンタルモデルもしくは業務の中にどのような概念が存在しているかを調べる」ことの重要性が強 調されています。
では、このメンタルモデルはどのように形作られるのでしょうか?
過去の経験
これまで使ってきた他のプロダクトでの体験は、新しいプロダクトに対する期待のベースとなります。
習慣
何度も繰り返す操作は、やがて無意識的な習慣となり、思考のショートカットとして機能します。『インターフェースデザインの心理学』でによれば、スキル習熟によって操作が「ほとんど何も意識せずに行える」ようになるとされています。
文化
育ってきた環境や文化も、例えば「色の解釈」(『インターフェースデザインの心理学』)などに影響を与え、メンタルモデルの一部となります。
広く浸透した「お約束」
Webサイトの左上ロゴがトップページへのリンクであること、虫眼鏡アイコンが検索を示すこと、下線の引かれた青文字がリンクであることなどは、多くのユーザーが共有する「インタラクションの語彙」や「イディオム」であり、これもメンタルモデルの一部です。
ユーザーはこれらの要素から構築された自身のメンタルモデルを前提として、プロダクトの挙動を予測し、操作を試みるのです。
なぜユーザーは戸惑うのか?
問題は、プロダクトの実際の挙動や情報の提示方法(表現モデル)が、ユーザーのメンタルモデルと一致しない場合に発生します。このギャップは、ユーザーに深刻なフラストレーションや混乱をもたらします。
『オブジェクト指向UIデザイン』で例示されている、先に現金を投入しないと 商品を選べないタイプの券売機。多くの人は「商品を選んでから支払う」というメンタルモデルを持っているため、この券売機の前では「先にお金を入れてください!」という指示に戸惑い、ストレスを感じます。このギャップが原因で、外国人客が利用を諦めてしまったという事例は、メンタルモデルとの不一致がビジネス上の損失に直結しうることを示唆しています。
このメンタルモデルとプロダクトデザインの関係は、初めて訪れた街で目的地を探す状況に似ています。
もし、その街の案内標識が、あなたが普段見慣れているデザイン(色、形、記号の意味)を踏襲していれば、おそらく迷うことなく進めるでしょう。これは、あなたの「案内標識」に対するメンタルモデルと、実際の標識(表現モデルが一致しているからです。
しかし、標識のデザインが独特で、矢印の示す方向が分かりにくかったり、地名の表記が特殊だったりしたらどうでしょうか? きっとあなたは混乱し、目的地にたどり着くのに苦労するはずです。これは、メンタルモデルと表現モデルが乖離している状態です。
優れたプロダクトデザインとは、ユーザーが持っているであろう「地図」(メンタルモデル)を理解し、それに合った分かりやすい「案内標識」(表現モデル)を提供することなのです。
メンタルモデルとの不一致にとって実際に起きた混乱
2025年の大阪・関西万博で一部で話題となった特定のトイレ(「トイレ1」)で起きた実際の事例を紹介します。このトイレは、利用者が内部を通り抜けて反対側から出るという、一方通行の特殊な構造をしていました。
多くのユー ザーにとって、トイレの個室は「入ったドアから出る」のが一般的な認識(メンタルモデル)です。また、個室が空いているかどうかは、ドアのロック表示やノックなどで確認するのが普通でしょう。しかし、この万博の「トイレ1」では、入り口と出口が別であること、そして空室状況を示すランプの意味が十分に伝わっていなかったことから、「前の人がまだいるのか、もう出たのか分からない」「使い方が分かりにくい」といった混乱が生じてしまいました。
報道によれば、この「トイレ1」には「内部を通り抜けることで、かつての夢洲の生態系を感じてもらう」というデザインコンセプトがあったようです。しかし、トイレを急いで利用したいユーザーの状況や、「個室は入ったドアから出るもの」という強いメンタルモデルの前では、そのコンセプトは機能しませんでした。むしろ、基本的なトイレとしての使いやすさを損ない、フラストレーションを生む結果となったのです。デザイナーの意図した表現(表現モデル)が、ユーザーの持つごく自然な期待(メンタルモデル)と大きく乖離してしまった典型的な事例と言えるでしょう。
(参考記事:大阪万博、問題の「一方通行トイレ」ちょっぴり改善 見て思った「これはトイレパビリオンかも」 - ITmedia NEWS)
同様の現象は、ウェブサイトやアプリケーションでも起こりえます。例えば、
クリックできそうに見えるのに反応しないボタン
予期せぬタイミングで表示される、一方的なエラーメッセージ
少しの入力ミスで 、それまで入力した内容が全て消えてしまうフォーム
これらは全て、ユーザーの「こう動くはずだ」「こうあるべきだ」というメンタルモデルを裏切る挙動です。ユーザーは「ボタンに見えるものは押せるはず」と考えますし、システムは自分の入力を適切に保持してくれると期待します。
このようなメンタルモデルとの不一致は、単にユーザーを不快にさせるだけではありません。
学習コストの増大: 操作方法を理解するのに余計な時間と労力がかかる
使いにくさの実感: プロダクトに対するネガティブな印象を与える
利用の断念・離脱: 最終的には、ユーザーはそのプロダクトを使うことを諦めてしまい、機会損失となる
メンタルモデルとのギャップは、静かにプロダクトの価値を蝕んでいくのです。
メンタルモデルとの一致がもたらす価値
逆に、プロダクトの表現モデルがユーザーのメンタルモデルと調和している場合、ユーザーはそれを「これまでの経験からすぐに理解でき」、「使いやすい」と感じてもらえる可能性があります。
ユーザーが持っている既存の知識や期待に沿って情報が構造化され、操作の流れが自然であれば、ユーザーはストレスなく、スムーズに目的を達成できます。これは、ユーザーのメンタルモデルにある対象(オブジェクト)をUI上で直接知覚し、操作できる状態に近いと言えます。
優れたプロダクトは、ユーザーのメンタルモデルを先読みし、それに寄り添うように設計されています。それはまるで、気の利いた店員が、客が次に何を求めているかを察してサービスを提供 するようなものです。
では、どうデザインに活かすのか?
ユーザーのメンタルモデルを理解し、それに沿ったデザインを実現するためには、開発プロセスにおいて以下のステップが極めて重要になります。
ユーザーリサーチ
UIデザインは、まずユーザーを深く知ることから始まります。インタビュー(特にユーザーの動機を探るエスノグラフィックインタビュー)、行動観察などを通じて、ターゲットユーザーがどのような経験を持ち、どのような期待(メンタルモデル)を持っているのかを明らかにします。このプロセスで、ユーザーの「当たり前」を探るのです。
メンタルモデルに基づく情報設計
リサーチで得られた洞察をもとに、ユーザーのメンタルモデルに合致する情報構造、ナビゲーション、ラベルなどを設計します。これは、ユーザーの頭の中にある概念(オブジェクト)を抽出し、それをUIの骨格(モデル、インタラクション、プレゼンテーション)に反映させるプロセスです。加えて、業界標準や広く使われているUIパターン(インタラクションの語彙、イディオム)を尊重することも、ユーザーの期待に応える上で重要です。
ユーザビリティテスト
設計したアイデアは、必ずプロトタイプを作成し、実際のユーザーにテストしてもらいましょう。そこで、ユーザビリティテストを通じて、設計者の思い込みとユーザーのメンタルモデルとの間にギャップがないかを確認します。発見された問題点を修正し、再度テストする。この反復的な評価プロセスこそが、メンタルモデルとの一致度を高める鍵です。
まとめ
「メンタルモデルの理解がUIデザインにおいて重要とされる理由」について掘り下げてきました。では、なぜこれほどまでにメンタルモデルの理解が重要なのでしょうか。
その理由は、ユーザーがプロダクトと対峙する際、自身の経験、習慣、文化、そして広く浸透した「お約束」から形成された既存のメンタルモデルを無意識の前提としているからです。この前提とプロダクトの実際の挙動(表現モデル)との間にギャップが生じると、食券の券売機や万博のトイレの事例のように、ユーザーは混乱し、フラストレーションを感じ、最悪の場合プロダクトから離脱してしまいます。これは単なる使い勝手の問題ではなく、ビジネス上の機会損失にも直結しかねません。
逆に、ユーザーのメンタルモデルに寄り添ったデザインは、ユーザーが迷わず、ストレスなく目的を達成できる体験、すなわち真に「使いやすい」と感じられる体験の基盤となります。ユーザーリサーチを通じてメンタルモデルを理解し、それに基づいた情報設計を行い、ユーザビリティテストで検証するというプロセスは、このような優れた体験を創出し、プロダクトの価値を高める上で不可欠です。
したがって、メンタルモデルを深く理解し、それをデザインの中心に据えることは、ユーザーの期待に応え、無用な障壁を取り除き、プロダクトの成功確率を高めるための極めて合理的なアプローチと言えます。デザイナーは、ユーザーがどのように世界を認識し、何を期待しているのかを洞察し、そのメンタルモデルと対話する形で情報やインタラクションを設計していく責任があります。
あなたのデザインは、ユーザーのメンタルモデルと、どれだけ対 話できているでしょうか?