WSDレポート15:ワークショップデザイナーの専門性
この記事は、青山学院大学大学院主催のワークショップデザイナー育成プログラムの課題として、動画形式の講座を受講して筆者個人の考えをまとめたレポートです。今回は「ワークショップデザイナーの専門性」について書いています。
内集団びいき
ワークショップを通じて楽しむことや夢中になることは大事だが、仲良しこよしのグループの中で 内輪でだけ盛り上がってしまう状況は、日本の幼児教育で一般的にみられる仲良しグループと似ており、同調し合うことで内集団びいきを引き起こすメンタリティがあるという話が興味深かったです。
この構造を持つ「安心社会」では、同調することで安心しやすい作用が生まれる一方で、外集団に対しては不安を持つ特徴があり、一度この状態が定着するとすぐに変えることは難しいそうです。ワークショップデザイナーに当てはめると、当事者同士では盛り上がるが、そこから一歩何事もなかったかのように振る舞ってしまうのは最も恐るべき事態であり、集団で何かをしようとするときは「信頼社会」のように、他者を未知なるもの、わからないもので予想外のことが起きるという前提で、でも相手を信頼して関わり合う視点を持って実践していくことによって、停留しない集団・関係づくりにつながるのだと思いました。
一人称的自己と三人称的自己
内集団の中での自分の存在を保証するための「自分作り」をした結果、自分を常に客観的な枠組みでアイデンティティを形成することを「三人称的自己」と呼び、自分自身の感覚を遮断し、見かけ上の自分を作り上げてしまい、三人称的自己として望ましいとされる意見を自分のこととしてしまうという話が興味深かったです。
三人称的な意見は公的に認められているように感じられるため、一見すると望ましいものに見えてしまうが、真に自分自身の欲求として納得できる(思わず行動してしまう状態)一人称的自己の視点を持つことがワークショップデザイナーとしての第一歩とされており、私たちにはそれをメタな視点からワーク ショップの営みを通じて参加者に気づきを与える役割があるのだと解釈しました。
そして、一人称視点を極めた本物の専門家は、「二人称的自己」の視点をあらゆるものに対して持つことができるとしており、我を忘れて対象の世界に入り込むことで一人称的視点では気づかないような抜け漏れに気づくことができる点で、質の高い洞察を手に入れられるのだと気づきました。
省察的実践家
ショーンの省察的実践における「リフレクション・イン・プラクティス」は、実践の真っ最中に省察することではなく、状況に埋め込まれた省察のことであり、実践が終わっていようがいつでもその実践環境に我が身を置いた上でどうあったら良いか?を振り返ることであり、リアルな事態を想定してその中で何ができるか思い巡らせ実行できるのが、省察的実践家(≒専門家の知恵)であるという点は、一人称的自己と二人称的自己の話と通じる部分があり、非常に重要なスタンスだと再認識しました。
これは、知識として知っており間違っていると判断できることではなく、実践の状況中で「引っ掛かる」「戸惑う」「躊躇する」と感じる瞬間が非常に重要であり、これらを実践の中で常に感じ続けてすぐさま反映し続ける状態が専門家であり、プロフェッショナルであると解釈しました。