WSDレポート7:ワークショップと対話
この記事は、青山学院大学大学院主催のワークショップデザイナー育成プログラムの課題として、動画形式の講座を受講して筆者個人の考えをまとめたレポートです。今回は「ワークショップと対話」について書いています。
私自身が理解した「対話」とは、ただ人と人が話している状況や行動を指すものではなく、また一方的な話し手と聞き 手に分かれている状況でもなく、人同士がお互いに言葉を通じて「価値」を発見し共有することだと理解しました。
例えば、ある情報がその人の中では価値がなかったとしても、他の人に伝えることでその人にしか見出せない価値に気づくことができたり、逆に価値がないことを再認識できたりするなど、言葉を重ねることでひとりではできない発見をすることなのだと思いました。
また、多様な人が集まる場において対話を成立するには、お互いの事情や「違い」を認識できている上でお互いに「対話することを許し合っている状態」が前提として必要に感じました。わかりやすく言えば、その場にいる人が自分と同じ日本語話者なのか、同じ野球チームのファンなのかそうではないのかなど、お互いに話しても良いと思える状況(錨を降ろす)を認識できなければ、何かを言ってみたところで受け入れてもらえるか不安を感じたり、意図せず相手を傷つけてしまう恐れを持つ人がうまく対話に参加できない場合があるためです。
それには、対話をうまく行えるような場づくりやファシリテーションのテクニックを活用することで対話の障害を取り除くなど、参加者に「対話することを許されている」と感じてもらえるようにすることがワークショップの設計や運営にとって重要なことなのだと理解しました。
私が最近経験した印象に残っている「対話」のエピソードとしては、会社の同僚と横浜で一緒に食事をした時に「家に帰る門限はあるのとないのとどっちが良いか?」と言う話をしたことです。
きっかけは、その同僚のパートナーが門限を設定されておりそれが辛いという話だったのですが、よく聞いてみると、門限ができたきっかけはその同僚が飲みすぎて深夜に帰った際に音で目が醒めてしまうからが原因らしいのです。同僚は「まあ自分が悪いんだけどね」と話していたのですが、「じゃあ門限はない方がいいのか?」と尋ねてみたら、いやどうもその門限自体が辛いのではなく、飲み会を途中で離脱することが辛いのだということを話してくれました。
そこで「逆に門限を設定されなくなったらどう思うか?」と尋ねたところ、「それってもう諦められたというか、僕に関心がなくなったって感じて嫌かも」と。つまり同僚は、ルールによって拘束されていることで間接的に安心感を得ているということがわかり、本人は「僕はマゾ気質だからすごい納得感ある〜」とのことで、同僚にとって「門限はあった方が良い」という気づきにつながったのでした。